第1章 コンテストを知るきっかけ 第2章 過去の失敗といくつかの問題 html 第4章 挑戦前からの心構え 第5章 曲とのにらめっこ(完成まで) 第6章 曲とのにらめっこ(完成後) 第7章 予想以上の反応 第8章 心に残った楽曲たち 第9章 運命の決勝大会 第10章 シビアな世界

第10章 シビアな世界


 決勝大会を受け、音楽コンテストがいかにしてシビアな世界であるか、恐ろしくも、厳しい線上であるかを知ると同時に、やはり自分自身の技術がいかに足りないのかを改めて思い知らされた。
とはいえ、前項でも記したとおり、幸い、消化不良の状態で後悔したという事態は、どうにか回避することができた。
また、その後になり、「闇を渡る道化師」が二次審査まで進んでいたことも明らかになった。
一応、順位が裏でついているようではあるが、これは表面上佳作まであと一歩だったことをも意味していた。
少し審査の流れについて補足しておこうと思う。
一次審査では、AからCまでの3段階評価で行われ、芸能プロダクションの代表者や主催者側から選出された審査員の方など、4人によるもので、この段階で落ちてしまうと、服部克久さんに代表される8人の作曲家の先生方に聴いてもらえることができなくなる。
ちなみに、このほかには、小六禮次郎さんや寺嶋民哉さん、田村信二さん、佐々木宏人さん、長山善洋さんらがいる。
こうしたプロの作曲家集団に聞いてもらえることが可能になるのが二次審査以降からで、上記のとおり8人の先生方による厳しい審査が行われる。
ここでは、「最終選考に残したいかどうか」を基準に審査がなされ、最終選考に進む楽曲(佳作として表彰される曲)が選び出される。
なお、最終選考もこの8人の先生方により行われ、一人の持ち点を10点とし、それぞれがつけた点数をトータルして最終的な順位を決定することになっている。
このほかにも、スポンサー企業側が選ぶ表彰、聴取者の手によって選ばれるオーディエンス賞などもあった。
こうして選ばれた楽曲をいろいろと聴いていると、完成度がぶっ飛んでいるもの、「おおー!」と思わせるものなどばかりで、中には、「え?あなた本当に学生ですか?」というようなクオリティの楽曲もあった。
これはたしかに、今の自分には到底かなわないレベルだと思いもしたが、それでも悔しさはかなり付きまとった。
同時に、理療科での3年間、85%くらいの確率でピアノを絶好調にサボってきたことをいまさらながら後悔し反省もした。
とりわけ、2012年度に至っては、ほぼ完全おサボり状態となってしまった。
というのも、いくら感情表現などを気を付けていても、生の演奏には到底及ばない部分があることをかなり前から感じていたのもあるが、Museを用いてどこまで自分の可能性を、力を引き出せるか、また、3年ほど前の私は技術的な面においてまだまだ課題が山積みであったため、そうした技術を鍛えることにこの3年照準を置いていたというのもあるからだ。
ただ、一次審査を通過したのとしていないのとでの差別化はきちんとなされており、たとえ最終選考に残れなかったとしても、二次選考まで進むことができていれば、上記に名前を挙げたような先生方のうち、2,3名程度の方から楽曲への公表をもらうことができ、それらは学生作曲家選手権の公式ホームページにも掲載される仕組みになっていた。
というわけで、幸いにも私は楽曲へのコメントをいただく権利だけは獲得で来ていたようだ。
とはいえこうやって簡単に連ねているが、実際のところ、、二次選考に残ることそのものも一筋縄ではいかないというのが現状であった。
全体で見ても、また各部門別にみても、半数以上の楽曲が一次選考で姿を消すことになっており、私がエントリーしたボーカルなしの部門は、350〜60曲以上もの中から二次選考には131曲、その中から最終選考に選ばれたのは、なんと20曲であった。
正直なことを言うと、一次選考で落ちたものの中には、「え?何であの曲が落ちなきゃいけないのか?おかしいよ」などと率直に思ったものもあったほどだ。
まあ、これがコンテストのシビアな世界の特徴なのだろう。
私たち凡人が聴くのと、プロ中のプロが聴くのとでは全く持って話が違うからである。
そのうえ、後に決勝大会に参加された方から聞いた話だが、小六禮次郎さん曰く、「審査基準そのものがあいまいで、結果として自分たちが好みである楽曲が選ばれたような感じなので、審査員の先生が異なれば、またまったくもって違う結果になっただろう」という趣旨の発言をされていたとのこと。
それでも、私の気持ちは既に前向きになっていた。
上記のとおり、確かにかなり悔しさの残る結果ではあったと同時に、応募規定に引っ掛かったために「会いたい気持ち」が投稿できなかったことも、ある意味致命的であった可能性があるとも感じた。
それでも、二次選考にすら残れなかった人の中には、そうした第一線の作曲家の先生方からのコメントを喉から手が出るくらい欲しいと望んでも、それすらもらえない人もたくさんいるかもしれないことを思うと、あまり多くを望んでも行けないと感じたからである。
むしろ、楽曲へのコメントをもらえただけでも幸せに思わなければと考えていたし、それを逆に今後の成長のチャンスにしようと思っていた。
実際、それがあっただけ悔しさも半減されていたのである。



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