第1章 コンテストを知るきっかけ 第2章 過去の失敗といくつかの問題 html 第4章 挑戦前からの心構え 第5章 曲とのにらめっこ(完成まで) 第6章 曲とのにらめっこ(完成後)

第6章 曲とのにらめっこ(完成後)


 10月末、いよいよ、選手権に向けた改造作業が始まった。
前項でも記したとおり、ここからが本当の勝負、それだけにいつになく修正作業には神経をとがらせた。
まず取り組んだのが、音楽仲間数名に聴いてもらうことであった。
作業を始めた当初より、自分で治せる部分は直すよう心がけていたし、何より完成してから感じたのが「この曲には、まだ伸び視路がある気がする」ということだった。
しかし、いつもならわりと冷静なはず?の私が今回ばかりは、なにをどうしていいのかわからなくなる事態に頻繁に陥ることとなったのである。
 そこで最初に相談したのが、2012年2月に某Ustream配信がきっかけで知り合った音楽仲間、DY氏である。
DY氏は、作曲のスタイルが私とはまったくもって異なるものの、作曲歴、DTM歴ともに私より長く、とりわけDTM歴についてははるかに長く、経験も広い方である。
それだけにとどまらず、彼の楽曲を初めて聴いた時、そのクオリティの高さに驚いたものである。
それは、これまで私が知っている全盲でDTMやってる人たちの中でもかなり群を抜いており、仮にMuseの愛用者であれば、なにをどうすればそんな風になるのか、あるいはCubaseなどに代表される一般の作曲ソフトを使っている場合、なにをどうすれば全盲で使いこなすことがあそこまでできたのか、弟子入りさせてもらってでも聞いてみたいと思うほど衝撃的なものだった。
が、実際に話を伺うと、通常はワークステーションシンセで曲を書かれているとのことで納得、それでもクオリティそのものが高いことがわかっていたので、アドバイスを受ければ絶対に有用な情報が得られるだろうと確信していた。
そんなとき、ひょんなことからDY氏と久々に直接話す機会に巡り合った。
その際、私からふろうと思っていたのだが、DY氏から、「もっとゴージャス感が欲しい」というアドバイスをいただいた。
しかも、なにをどうしたらよいか、非常に適格に、わかりやすいアドバイスであったので、どうしたら良いか困っていた私にとっては、非常に助かる内容だった。
 その後も何人かの人にアドバイスをもらい、細かな音量調整などを行っていたが、それでも不安が付きまとったままで、とうとう学校で勉強をしている時間帯にもピリピリした感情に襲われるようにまでなっていた。
しかし、こんなことで長いことピリピリはしていられない。
11月中旬には、按摩や鍼灸を学んでいる方々にはおなじみのとてつもなく難しい模試が控えていたり、その下旬からは定期テストも控えていたことから、あまり長いこと悩んではいられなかった。
そこで、このピリピリを解消するため、最後のアドバイスを諸熊氏にゆだねることにした。
諸熊氏は、大学の同期であり、そのころから現在に至るまで付き合いがあるうえ、現在の作曲スタイルの確立に多大な支援をしてくださった大切な音楽仲間である…いや、もはや師匠である。
そう、彼がきっかけでスランプを抜けることができたと言ってもよいからだ。
また、こうした事情から、私の楽曲を一番よくわかっておられる方なので、より適格で、より相応肢位アドバイスを受けられるだろうと考えたからだ。
既に、諸熊氏のアドバイスを受ける際には、DY氏のアドバイスをイカした状態となっており、あくまで最低限直しておくべき部分のアドバイスを受けることにした。
こうして、11月11日、晴れてクレオフーガのサイト上に、「闇を渡る道化師」を投稿することができた。
この時点でも、すべてをやり遂げたという感想を持っていた。
あれだけピリピリしていたというのもあり、すべてを終えたときの達成感は、言葉では言い尽くせなかった。
とにかく、ひたすらに「ああ、終わったぁ、やっと終わったんだぁ!!」という言葉だけが口から出てきた。
一応、この曲の作成および改造作業のすべてを終えた段階で音楽活動をいったんお休みし、勉強に集中するという予定を立てていたので、「これで、学生生活のメインとなる作曲は終わってしまったんだ」という少しさみしい気持ちになったこともまた事実である。



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