第1章 コンテストを知るきっかけ 第2章 過去の失敗といくつかの問題 html 第4章 挑戦前からの心構え 第5章 曲とのにらめっこ(完成まで) 第6章 曲とのにらめっこ(完成後) 第7章 予想以上の反応 第8章 心に残った楽曲たち 第9章 運命の決勝大会 第10章 シビアな世界 第11章 総括と反省 そして今後の課題

第11章 総括と反省 そして今後の課題


 前項でも記したとおり、やはり鍵盤はやっているべきだったという反省点が先に出てきた。
もともとは、ピアノからDTM(Muse)の世界に入り、少しでも健常者と対等に競い合い、刺激しあうまでになろうと考え、Museのみで楽曲を作り、学生時代を終えるまでに結果を残すことで、数年前に直接ご対面したことのある開発者の加藤一郎氏を心から喜ばせたい、そう思っていた。
しかし、それは結果としてかなわぬ夢となってしまった。
あそこまでMuseにはまり込む自分がいるとは思わなかったが、その凝り症やその他の要因が原因となり、結果として長いことピアノの練習をサボる結果となってしまった。
また、ピアノを弾きまくっていたころは、ステージに立つ機会が多かったり、いろいろコンテストへの入選を果たしたり、小帯演奏者として呼ばれるなどしていた経歴がある。
それだけに、鍵盤を全く持ってやらないのはあまりにももったいないことにいまさらながら気づいたこともまた、反省の要因だった。
そればかりか、今回ご指導をいただいた方の一人、DY氏に影響されたこともまた、鍵盤の世界に戻ってみようと考えた理由の一つだった。
そこで、今年中に新たにシンセサイザーを1台購入する予定を立て、今後はそれとMuseでの打ち込みをうまく組み合わせ、次なる自分自身の主力の表現スタイルを確立していくことになるだろう。
ただ、新たに何かを発見すれば、おそらくその限りではない予定である。
そして、今後の課題のもうひとつの鍵となる可能性が高いのが独創性の問題である。
今回いただいた楽曲コメントのうち、アイドルマスターの初代サウンドディレクターとしても知られる佐々木宏人さんより、下記のようなコメントをいただき、それは、今後の課題のヒントとなるものだった。
「よくできていますが、独創性が欲しいです。」
独創性…これは、もうかれこれ1年近く前から自らでも気付いていた問題であった。
ここ最近、暇つぶしラジオのBGM提供を行っていく中、とあるまずい事件がきっかけで、自らの独創性のなさを自覚するようになっていた。
が、どうしていいかわからずここまできてしまい、今回、プロの先生からの指摘を受けたことにより、これはやはりただ事ではない問題と思い知らされたのである。
しかし、独創性のなさを自分で気づいていたり、ある程度の独創性の必要性が曲には大事だろうと思ってはいたが、それが強くなりすぎるのも、私は問題だと考えている。
私は、耳にも心にも残る曲、印象に残る曲を書いていきたいという路線を貫くよう心がけており、あまりにも独創性ばかりが目立ち過ぎると、その路線をかえって崩しかねなかったり、なおのこと愛される曲にはならない気がしている。
それだけに、独創性の問題は、一筋縄で考えるのが本当に難しい問題だと改めて痛感したのである。
この独創性について自信を持って勝たれる方がいたら、ぜひ教えてほしいものである(笑)。
とはいえ、この問題が解決できるか否かは別にして、基本的な音楽理論やこれまで以上に踏み込んだ音楽の表現法をいろいろと本も読みながら勉強していきたいと考えており、早速動き出し始めているところだ。
これは、ただ単にコンテストに勝ち抜くためではなく、作曲をやるものとしての将来を考えたうえでの決断であった。
また、いろんな人(プロアマ問わず)のいろんなジャンルの音楽に触れることで更に自らを刺激し、レベルを高める起爆剤にするようこれまで以上に心がけている。
ところで、先生方や他の方々に言われたわけではないが、自分で気づいた反省点として、テーマ的な難易度をやはり高く設定しすぎたことが考えられた。
何せ、一言で言うと人の内面を歌った曲、もっといえば、人の心の中に抱える裏の心、闇の心を歌った曲だが、人生における自らの体験に基づいた「真実性」を語るには、やはりまだまだ自分の年齢には少し、いいえ、だいぶ早すぎたような気さえしている。
だからか、もしかすると人によっては、「何を歌いたいんだ?」とか、「テーマ的な部分が理解できない」などと思っていらした方も実際にいたような気がしてならない。
へたをすれば、上記に記したように、「あなたが誰かを不幸にすれば、いつかあなたやそのほかの人も道連れになる」というようないわゆる「真実性」を語るには、まだまだ技術的にも、人生経験的にも不十分と思われた先生方も実際にいらしたのではないかとも考える。
現実問題、他の楽曲で支持の多い楽曲、受賞を受けている楽曲は、テーマが端的で分かりやすく、説明もしやすいという部分があったように思う。
しかし、あの曲が完成した後すぐに思ったこと、それは「この曲どうやって説明したらいいだろう、ああ、難しいなあ」だったのだ。
自分での説明の難しさは、これまでとはかなり桁が違って半端なかった。
そう、自分自身がそういう状況なのだから、他の人がうまく糸をくみ取れなくてもいたしかたのないことだともかんじた。
それも、何でこんな難しいテーマをわざわざ選んだのだろうと、心の底から反省もしたほどだった。
それだけに、意図をうまく理解されなかったケースがあってもおかしくないと感じたのである。
そんなこともあり、もっと多くの人に愛されたり、支持されるような曲を書くには、明確に、きちんと、端的に説明できるものにしなければならないと、深く悟ったのである。←やはりテーマが不明瞭なら曲としても不明瞭な部分が多く出てくると考えた。
その他、楽曲の選定に関する反省を書かざる得ない状況となっている。
やはり、「会いたい気持ち」が応募規定に引っ掛かっていたこと自体かなり致命的であったと言わざるを得ない結果だった。
あまり言わない方がいいはずで、それよりも上記の反省点の方が重要であるという認識自体はある。
しかし、現実にふたを開けると、曲想も雰囲気も違う曲であったことから、一般受けという点でも、また個人的にも、この2曲どちらが完成度が高かったのか、出来がよかったのかをうまく判断することそのものが難しい状況となっている。
「会いたい気持ち」の方が曲の進行の仕方的に美しいものがあったとか、「闇を渡る道化師」の方が心に感じるものがあったなど、本当にどちらとも言えない状況だったが、やはり多くの人に愛される楽曲という点では「会いたい気持ち」が上であるという実情には変わりない。
何か工夫ができなかったものかとも思ったほどであるが、事実は事実として受け入れざるを得ず、それでもぎりぎりまで迷った末に投稿を断念しているのだから、これ以上この件に関しては何も考えない方がいいような気がしている。
こうして、新たな課題と確かな手ごたえを感じることができた今回のコンテスト挑戦。
学ぶことも多かった今回の挑戦。
たとえ最終選考に残れなくとも、確実に今後の音楽活動にはプラスになっていることを今肌で感じながら、日々を過ごしている私なのである。



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