第1章 コンテストを知るきっかけ 第2章 過去の失敗といくつかの問題

第2章 過去の失敗といくつかの問題


 挑戦を決断して間もなくのことだ。
実際にどういった曲が投稿されてくるのか、またどこまで自分自身が自らの限界に挑むことができるのか心を躍らせていた反面、過去のコンテスト挑戦で失敗して学ぼうとしていることやそれに関連した問題がいくつか浮上してきた。
まず第1に挙げられるのが「消化不良にならないこと」である。
過去何度となく、このことが原因で挑戦失敗(一次予選敗退)となったことがある。
もちろん、準備不足などの問題も含まれている。
しかし、今回は半数以上(へたをすればほぼ全員)の人が本気でかかってくるような楽曲を投稿してくるものとみていた。
また、学生生活の集大成という意味合いもあるため、後跡になって消化不良だったとなることは、まず絶対に許されないしかるべき事態であるとの認識で臨もうと考えた。
第2に挙げられるのは、「細かな状況を把握したうえで計画的に物事を遂行すること」であった。
これに関してだが、一つどうしても忘れられない苦い経験がある。
さかのぼって、今からちょうど10年前の話になる。
第2回ゴールドコンサートの一次予選、これはいわゆる音源審査だったのだが、その予選を通過できた私。
予選を通過すると、数ヵ月後に行われる本選に出場できたはずであった。
しかし、諸般の事情により出場辞退を強制決断させられる状況に陥ったのである。
これは、一部の方々以外に隠し通してしまった私にも原因があったり、決断した時期があまりに無謀極まりない状態であったこともまた直接的原因となってしまった。
ちなみに、この第2回の本選には、のちにメジャーデビューすることになる立道聡子さんが出場されていたことを付け加えておく。
そういった経緯があり、今回はこのあたりをかなり軽快していた。
というのも、2月3日に神奈川県川崎市にて決勝大会が行われることになっていた。
へたをすれば、仮に応募しても、会場に足を運べない場合、審査対象からも受賞対象からも漏れる危険性があるという非常にリスクの高い事態であるうえ、上記の出来事の荷の前になることすら意味することになる。
そうなれば、せっかくの努力が再び水の泡になることをある程度警戒、覚悟して臨む必要があるわけだ。
しかし、この時の私には、リアルにおいて人生に関わる大変重要な出来事が押し迫っていた。
その月の末、按摩マッサージ指圧師、および鍼灸師の国家試験受験日が迫っており、決勝大会の丸3週間後がちょうど鍼灸師国家試験の受験日にあたっていた。
なんて運の悪いことに(苦笑)。
また、のちに発覚するのだが、大会の2日後、学校での最後の期末試験が控えていることにもなっていた。
これまた運が悪い汗。
こうした状況から、まず決勝大会にはほぼ出向けないことを前提に考える必要があった。
そんなこともあり、上記10年前の事態と同じようなことが二度と起きないようにすることを考えなければならなかった。
来場しなければ表彰の権利がないとなれば、不健全なことは除き、どういう手を使ってでも絶対に行かなければということまで頭にあったほどだ。
しかし、これもまたのちに、来場の有無にかかわらず平等に審査、表彰が行われることがわかったので、まずは二の前になる心配がなくなっただけ一安心だった。
挑戦前の時点で、こうした大きな問題が二つほどあったが、それでも挑戦したいという強い意志が傾くことは一切なかったため、結果としてこのまま計画を続行しようと考えた私なのであった。



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